親は、幼稚園や学校の先生に
「発達の検査を受けにいってみてはどうですか?」
と言われたり、医者に
「自閉症スペクトラムです。」と言われて
ズドーンとショックをうけられるかもしれません。
診断がつくということは、私の子は障害なの!?と・・・。
こう、感じてしまうのは、
「診断」と「障害」との関係を混同しているからだと思います。
医学的に診断とは、「共通の特徴をもつ医学上の類型に、当てはまると判断すること」です。
医学上の類型では、「生物学的な特徴」によって決まりますが、それがすべて「障害」とは限りません。(血液型は明らかな「生物学的な特徴」ですが、少数派のAB型の人が「障害者」とは誰も思いませんよね)
「障害」という言葉を必要にしているのは、法律や行政です。
法律に沿って、市民がサービスを受けられるようになるので、必要ですし。
ここでいう「障害」の意味は、「生活に支障がある」かどうかです。
医学の概念ではなく、社会学の概念です。
(by「自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体」 精神科医師、医学博士 本田秀夫)
だから、幼稚園や学校の先生が、検査を勧めてくれるのは、
子どもの生活を一番近くで見てくれている人だからこそ、価値のある指針だと思います。
そして、病院の検査で脳の特徴を分析してもらうのですが、
これって、医学や検査方法が進歩して、微妙な差異を
みつけることができるようになったからなんですね。
だから、診断が可能になりました。(ものさしが、1mm単位から、1mmの100分の1単位で測れるようになったみたいな…。)
私達が子どもの頃にも、あった「生物学的な特徴」ですし、
親の時代にも、その親の時代にも、もちろんありました。
が!
それが、昔は測れなかったし、気にならない社会でした。
高度経済成長の時代から、年々サラリーマンが増え続け
「働くこと=雇われること」
が主流となってきました。

それ以前は、
稼業を継ぐのが常識でした。
(苗字が職業由来ってこと、ありますよね?ちなみに、アメリカのスミスさんは鍛冶屋を意味する姓らしいです)
職人の子は職人。
政治家の子は政治家に。
漁師の子は漁師に。
役所の子は役所に。
神主の子は神主に。
(「親から地盤を引き継ぐ」とか「先祖代々守り抜いた」とか言ってましたよね)
発達障害は、遺伝がほとんどでしょうから、
この仕組みって発達障害と言われる人からしてみると、
特性を発揮できる社会だったんです。
でも、みんなが高学歴、高収入、サラリーマン
を目指す世の中になってきたものだから、
自分の特性と、目指すフィールドにギャップが出てきて、
それが、特性による障害を生んでいるんだと思います。
そんな二次障害を危惧して、
お医者さんや、学校の先生は、診断を勧めてくれるようになりました。
でも、安心してください。
世の中、どんどん変化しています。多様化しています。
ランドセル。携帯電話。カタログギフト。ふるさと納税。TVオンデマンド…
日本は、多様性に配慮する成熟社会にどんどん移行中です。
多様性に配慮できた企業が生き残ります。
(社会が近代化する時は「産業」から先に変わります。「政治」「社会」「文化」も順次近代化し、社会全体が変革していきます。 by 「近代化理論」 富永健一)
もう、普通に寄せようとするのは、やめませんか?
社会が変動している今、「普通」でいることのメリットは、少なくなっていますよ。
親が「障害なんて受け入れられない!」と苦しんでいる以上に、
お子さまが普通を強要される生活に一番苦しんでいます。
保護者1人1人の意識から、わが子が素晴らしい個性を発揮できる社会に変えませんか?
社会が進化している、その歪み(ひづみ)での事象というニュアンスで、「時代病」と表現しました。
成熟した日本になることを祈って。